先日野球の好きな友人と話をしていた時に、「ラッキーゾーン」という言葉が出てきました。
今はもう無いそうなのですが、甲子園球場にかつてあったということでした。
私は野球についての知識があまりないなので、「ラッキーゾーン?」と思わず聞き返してしまいました。
とても気になったので、甲子園のラッキーゾーンの距離、そもそも何なのか、撤去されてしまった時期や理由について詳しくリサーチしてみました。
調べていると、清原選手の面白い事実も出来てきました!
甲子園にあったラッキーゾーンの距離ってどれぐらい?
ちなみに甲子園のラッキーゾーンはどのくらいの距離だったのかをご紹介します。
- 中堅118m
- 両翼91m
- 左右中間113.2m
- 本塁後方18.4m
甲子園の元々の両翼の大きさは110m(ラッキーゾーン設置当時/2009年からは95m)なので、91mのラッキーゾーンはかなり大きく、ホームラン数が増えるのも納得ですね!
甲子園のラッキーゾーンとは
今年から阪神タイガースファンに
なりましたが30年前親に連れられて
甲子園に来たときはまだラッキーゾーンが有りました。懐かしい😆
あと野手汎用応援歌で
かっとばせー大山の後に
「あいやぁ!」って必ず
言ってましたよね?
最近あまり聞かないね。 pic.twitter.com/y2XKv5Rzg2— サラリーマンキー太郎🐯低浮上中😪 (@Tigers_beginner) December 19, 2017
そもそもラッキーゾーンって何だろう?となる人もいると思うので、簡単に説明しておきます。
ラッキーゾーンは一言でいうと、球場の外野フェンスと、その手間に少し低く設置されたした柵との間の空間を指します。
フェンスには届かなくても、ラッキーゾーンに入った球は、ホームランとみなされます。
野球を観ていて一番盛り上がるのは、やっぱりホームランの瞬間ですよね〜
特に力が僅差の甲子園では、ホームランによって一発逆転もあるため毎回目が離せません。一本のホームランによって試合の流れががらっと変わってしまうこともよくありますよね。
ところが、ラッキーゾーンが設置された当時は現在に比べてボールやバットの材質も悪く、なかなか柵を超えるホームランが出なかったとのことです。
ラッキーゾーンを設置した目的は、ホームランを出しやすくすることでファンにもっと楽しんで欲しい、その思いから甲子園で設置されたのが始まりです。
現在は甲子園でもたくさんホームランが打たれているイメージがありますが、当時はラッキーゾーンを必要になるほどホームランが出なかったのはとても意外でした。
甲子園のラッキーゾーンはいつから設置された?
最初のラッキーゾーンは1947年5月26日に甲子園球場に設置されました。
その後は甲子園球場以外にも続々と設置されました。
- 鳴海球場(愛知県愛知郡鳴海町:現在は名古屋市緑区/設置年1950年)
- 阪急西宮球場(兵庫県西宮市/設置年1960年代頃)
- 明治神宮野球場(東京都新宿区/設置年1962年)
- 西京極球場(京都府京都市右京区/設置年不明)
- 倉吉市営野球場(鳥取県倉吉市/設置年不明)
実は、ラッキーゾーンが現存している球場は、最後に挙げた鳥取県の倉吉市営野球場だけなんです。
甲子園も含め、大半の球場のラッキーゾーンが無くなってしまった理由については次にとりあげますね。
公式ではラッキーゾーンとしていないものの、同じような役割の外野スタンドを設置している球場もあります。
- 宮城球場の「Eウィング」
- 福岡ヤフオクドームの「ホームランテラス」
甲子園のラッキーゾーンが撤去されたのはいつ?
甲子園球場のラッキーゾーンは、1991年12月5日、その年の甲子園シーズンを終えた後に撤去されました。
その影響は大きく、翌年の1992年の甲子園では、本塁打数は半分以下に減ってしまったそうです。
ラッキーゾーンが現存している球場が一ヶ所であることから分かるように、甲子園以外の球場でも撤去は進みました。
ラッキーゾーンが撤去された理由としては、1980年代以降、夏季オリンピックの競技種目に野球が加えられたことが大きく影響しています。
国際規格にのっとった球場が必要となり、新しい球場の建設や改修工事が進められました。その中で日本独特のラッキーゾーンも撤去されていったのですね。
現在もラッキーゾーンが残っている倉吉市営野球場は、左翼側のラッキーゾーンの中に照明塔が設置されていることで撤去が進まないようです。ただ老朽化も進んでいるため、時期は未定ではありますが改修工事の予定があるとか。
現存している唯一のラッキーゾーンを見たい方は早めに訪れてみてくださいね。
参考URL:倉吉市営球場(グリーンスタジアム倉吉)
ラッキーゾーンに入った清原選手のホームラン数
〇あのプロ野球選手の高校時代〇
桑田真澄&清原和博(PL学園)
pic.twitter.com/4U8owkcdig— あぁ青春の高校野球 夏の甲子園! (@kokoyakyu4916na) March 26, 2018
野球に詳しくなくてもだれもが知っている清原和博選手。プロ野球での活躍はもちろん、高校時代からその実力は目立っていました。
そんな清原選手の甲子園通算ホームラン11本のうち5本がラッキーゾーンのホームランです。
清原選手がPL学園に在籍し、甲子園で活躍したのが1983年から1985年。まだ甲子園にラッキーゾーンが設置されていた時代です。
それで、清原選手とラッキーゾーンの相性について調べてみました。
清原選手の甲子園でのホームラン数は、まとめてみました!
- 1983年夏の甲子園…1本
- 1984年春の甲子園…3本
- 1984年夏の甲子園…1本
- 1985年春の甲子園…1本
- 1985年夏の甲子園…5本
甲子園といえば全国の強豪校が集まる戦い。その中でホームラン1本打つだけでも本当に大変なのにすごい記録ですね。
そしてその記録にラッキーゾーンも貢献していることがわかりました。
思い起こせば、当時KKコンビと呼ばれた桑田真澄選手とともに、毎年のように甲子園に出場していた清原選手。
高校時代通算で64本のホームランを打ったといいますから、相手チームは本当に苦戦したでしょうね。
清原選手のホームラン数を越えた高校球児とは?
1991年のラッキーゾーン撤廃以降に、一大会で5本という清原選手のホームランの記録を破った選手がいます。
それは、現在は広島東洋カープに在籍している中村奨成選手です。
高校時代は広陵高等学校に在籍し、平成29年の第99回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で一大会中に6本のホームランを打ちました。
野球ボールやバットは日々進化していってますので、清原選手の記録と一概に比較できませんが、清原選手も中村選手もどちらもすごい!
日頃の努力のたまものですよね (^-^)
ラッキーゾーンが無くなっても、それを超えていく選手はこれからもどんどん出てくるのでしょうね。
まとめ
今回は甲子園のラッキーゾーンについてご紹介しました。
ラッキーゾーンはホームランを打ちやすくして、観客にもっと野球を楽しんでほしいとの思いから設置されました。
ラッキーゾーンの設置が追い風となり、清原選手のような素晴らしい記録を持つ選手も誕生しました。
もちろん野球選手の努力が大前提ですが、野球をもっと楽しめる工夫をしてくれることは本当にうれしいですね。
ラッキーゾーンは野球の国際化の波で現在はほとんど撤去されてしまいましたが、それを超えて活躍してくれる選手も出てきています。
私はラッキーゾーンという言葉さえ知らなかったのですが、今回リサーチしてみて野球を楽しんでほしいという熱い思いを感じました。
今はほとんど残っていないのが寂しいですが、その思いはこれからも引き継がれていくことと思います。
コメント